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キャリアアップを目指す人間、特に、上に立とうとする人間は事実に対する正確な判断力が必要です。
思うのですが、これができない人は組織のトップ、もしくは「長」と名の付くポジションにいるべきではありません。 下に付く人間が迷惑です。 またさらに、思うのですが、この能力は後から見につかないような気もします。 ですので、これができない長を持つ組織は、常に間違った方向へ導かれてしまう事になります。 さて、この能力は何かを分析してみます。 まず、事実を事実として客観的に見る。 これができない人がいます。 常に何らかのフィルターを通して物事を見る人がいますが、それです。 また、受け売りの知識をフィルターにする人もいます。 まあ、とはいえ、人はなんらかのフィルターを持っているものですが、そのフィルターの透明度がどれだけあるかという話です。 フィルターが透明かどうかはその知識をより自分の知識として身につけているかどうかにかかっています。 他人のフィルターをそのまま使っては、その先が曇って見にくいのは当然です。 複数の事実をみて、ひとつの法則的なものを発見する。 事実を見る能力のない人は、背後の普遍的なものに気がつきません。 発見された法則、しかし、それには例外もある。 事実を見る能力のない人は、この例外に気がつきません。 目に見えない事実、つまり背後にある人間の感情や利害関係。 事実を見る能力のない人は、これを無視します。 だから、事実を見る能力のない人は、TVやマスコミ、各種メディア、インターネットの情報を鵜呑みにします。 結果として、何が大切で、何が大切ではないかの判断が自分1人でできません。 未来は過去の結果です。 そもそも、これがわかっていません。 今、目の前にある現象をTVを見るかのように、何も考えずに、ふーん、と見てるだけです。 モノの因果関係がわかってないということは、未来の予測ができないということです。 リスクヘッジができないどころか、常にリスクだけを拾うようになります。 そして、同じ事を何度も繰り返します。 結果として、組織は発展せず、上司と部下の関係も悪く、仕事がつまらなくなり、キャリアアップどころではなくなります。 この脳力というのは、前出の「学歴」は、関係ありません。 ロジカルであれという事でもありません。 スピリチュアルな能力でもありません。 ロジカルであり直感的である、総合力と呼ぶのが適当かも知れません。
学歴というのは日本の社会では重要です。
なぜなら、学歴の有無によって就職できる企業の幅が広がるからです。 公務員なども一定の学力を基準として採用をしています。 しかし、これは本来バカげたことです。 なぜなら大抵の場合、仕事ができるかどうかと、学歴とはまったく無関係だからです。 なのに、どうして大企業は有名大学からしか採用しないのか。 挙げれば色々理由は出てきますが、確率論以外の理由には、どれもピンと来るものはありません。 確率論というのは、やっぱり高学歴者は仕事でも優秀な成績を収める確率の事です。 まあこの話は別の機会でします。 さて、もちろん仕事には、学校の成績(偏差値)と直結するものもあります。 その場合は、学校の成績優秀者が仕事もできるという事になります。 しかし、世の中の仕事の大半は、学校の成績とは関係がありません。 例えば、営業がメインの会社で、体育会系出身者がもてはやされるのは、そこに理由があります。 礼儀正しさと顧客と上司には絶対服従の精神、体力で走りまわって気合いで契約を取る。 まさにスポーツの世界です。 これは極端な例ですが、つまりは、その人の人間性、性格、などが仕事の出来と大きく関連してくるわけです。 テレビ東京の「愛の貧乏脱出大作戦」などで、非常に簡単な事でも、それができない人がいます。 これは、その人が学歴がないからではなく、プライドが高いからというパターンがよくあります。 バカバカしくてできないのです。 学歴があってもなくてもプライドの高い人はいます。 あと、「仕事は頭でやるもの」と思っている人は、これも間違いで、「仕事は慣れ」です。 スポーツと同じで、何度も経験を積むことでできるようになります。 仕事には常に人間が介在するので、結果が一つだけとは限りません。 結果が一つだけなら、頭でそれを理解して、常に同じ方法でやれば良いのですが、そうではないのです。 そこに人が介在する事で、その結果を導くためプロセスが毎回変わるのです。 この辺りが理解できている人で、かつ、人間の行動科学を理解している人は、きっと仕事もできるはずです。 もちろん、これを理解するには、意識的でなくても良いのですが、普通はこれを「経験」で得るのです。 今、小さな会社で採用活動をして思うのは、やっぱり、これです。 仕事と学歴は無関係であるという事です。
この前のブログで、受託案件が取れないエンジニアさんは、もう少し性格を改善したほうがよいのでは?的な事を書きましたが、かなり語弊があるので説明します。
そもそも、SEという仕事なのですが、その仕事がら人とのコミュニケーションが少なくなりがちです。 常にパソコンに向かっているわけですから、それは当然。 客先に行くこともありますが、割合から言ったら、かなり少ないです。 となると、当然、言葉使いから態度、服装、全てにおいて「それで客先に出ていいのかよ!?」というような人間に徐々に退化していくことになるのです。笑 が、これは仕方ないことだと思います。 そして、ずっと一つの会社に定年まで勤めるなら、それでも大丈夫と思います。 コミュニケーションの苦手な人は、コミュニケーションの少ない職種もあるからです。 が、それだと、たいていの場合、社内で「出世」はできませんが。。。 さて、独立すると、そもそも営業をするわけですから、「俺はコミュニケーションが苦手だ!」などと言ってられないわけであります。 独立とはいえ大手企業に常駐ならば、営業はしなくてもよいですし、与えられた仕事をきっちりこなしていれば契約は更新されるわけですから、それならコミュニケーション云々の問題はないでしょう。 しかし、受託ですべて仕事を取ろうと思ったら、まさに営業活動をしなければならず、コミュニケーションが苦手な人にとっては、苦痛としか言えない状況になるわけであります。 あ、そういう自分もコミュニケーション苦手です。 でも、人として基本的なことさえ守れば、営業で大失敗することはありません。 たとえば、こんな感じのことです。 愛想笑いができない人っていますよね? 感謝の言葉が出ない人っていますよね? 頭を下げることができない人っていますよね? 敬語が使えない人っていますよね? プライドを捨てられない人っていますよね? 人の話を聞かずに、喋りまくる人っていますよね? 知識のない人を相手を見下す人っていますよね? 失敗して言い訳ばかりする人っていますよね。 こういうことを客の前でやったらダメです。 これさえ守ることを念頭において、お客様先に出向けば良いのです。 (もちろん、提案書や見積書は最低限準備しましょう。) ちなみに、これらができれば、コミュニケーションが苦手だと思ってる人でも、会社内でも出世できると思います。 もちろん、それなりの能力がないとダメですが。。。 あと、エンジニアの人によく見かけるタブーと思われること。 打ち合わせ中にノートパソコンを広げてカチャカチャやるのはやめましょう。 これって、相手からすると、本当に人の話を聞いてるのかと不安になります。 それに、打ち合わせにまで作業をしないと終わらないようなトラブった案件を抱えてるとも思われかねないですし、仕事が遅い人だと思われる場合もありますからね。 ちなみに自分がノートパソコンを広げる時は主にデモの時です。 もしくは本当に連絡待ち等の案件が入ってるときに、緊急メールのチェックのために広げてます。 会話の切れ目や休憩時、または出されたお茶等を飲む時にすばやく、プチっと送受信を押して、さっと目を通して終わりです。 ただし、長丁場の打ち合わせの場合に限ります。 あと、よく見かけるのが、難しそう、無理そうな要望を客から出されると、ちょっとキレ気味になる人。 「そんなことできるわけないじゃないですか!?」とか 「そんなことできると思ってるんですか!?」とか 「そんなことして何のメリットがあるんですか!?」とか 「(ただ一言)無理です!」とか 人って自分の知らないことを人に聞いたり頼んだりするときは、けっこうビビるものです。 そんなことも知らないの?って馬鹿にされるんじゃないかとか、無理なお願いをしてるんじゃないかとか。 そういう心配をしてるのですから、そんな心理状態の人に「キレ気味」にぶつかったら相手は委縮するか逆切れするかのどちらかで、当然のごとく契約成立にはつながらないでしょう。 そんなこんなで、性格を改善しましょうと書きましたが、性格ではないですね。 相手を嫌な気分にさせない「テクニック」ですね。 ま、自分も外面はいいほうなので。苦笑
「好きを仕事にする」というフレーズを昔、就職情報誌のCMか何かで聞いた記憶がある。
世の中には生活のためだと割り切って仕事をしている人がたくさんいる。 好きな事を仕事にしている人は恐らく少ないだろう、と思う。 ただ、最初は嫌だったけど仕事を初めてから、その仕事が好きになったという人もたくさんいるだろう。 自分は自営でITをしているが、もともとIT=プログラマーという仕事に好奇心を持っていた。 ただ、やってみて確かに面白い仕事ではあるが、一生涯続けることのできる仕事かというと、やはり、考えてしまう。 運動不足になりがち、納期によって昼夜不規則、年齢からくる体力の衰え、なにより目の疲労。 恐ろしく健康的な仕事ではない。 近所の人に「いつも閉じこもってばかりだから体が動かないだろ?」なんて言われて、「うっせー、好きで閉じこもってるわけじゃないんだよ!」と言い返したくなった事もあったが、確かに、体はなまって動かなくなってくるのである。。。 その点、会社勤めのSEの場合は年齢とともにラクになるから良い。 実際、自分が4年前に会社員だった時は、年を追うにつれて、プログラムを組む仕事よりも、WORDやEXELで設計書を書いたり、プロジェクトの管理をすることが増え、目や肩のこりとは縁が遠くなってきたものだ。 ちなみに、フリーのエンジニアはその全部をこなすわけだが、圧倒的にプログラミング作業が一番多い作業になり、休み休みやらなければ、疲労はたまるばかりなのだ。 自分はポリシー(いや住環境のせい?)もあって受注する仕事は受託オンリーである。 多くの独立したエンジニア(フリーエンジニア)は受託の仕事がなかなか取れずに、結局、大手のSIerやメーカーへ常駐して仕事をしている。 大手なので作業はもちろん分担制であるから、30代にもなれば、自分がそうだったように設計かマネジメントが仕事のメインだろう。 でも、「常駐だと、サラリーマンと同じだよなあ」って思うから、自分がそれをするのは躊躇する。 それに、常駐するくらいなら、お金の面から見ても、サラリーマンとして出世したほうが給与総額は多い。 となると、やっぱり独立したからには受託で仕事を取らなければ意味はないし、そしてそのほうが、自由で充実した人生を送れると思う。 余談だが、「受託の仕事が取れないんですよ」って愚痴ってるエンジニアの人は、もう少し性格を改善するなどすれば、仕事を取れるはず、、、なんて思ったりする。笑 話はそれたが、そんなこんなで、今はまだ安定して仕事をしているからいいのだが、そのうち不況やらITを取り巻く環境の変化で、苦しい時も来るだろう。 その時のために、今から「保険」を準備しておかないといけないなあと思う。 「好きを仕事にする」、再び初心に戻って、何か探してみようと思う。 ガーデニングとか、受験勉強とか、精神世界とか、旅行、などなど、楽しいことはたくさんあるので、その中から、楽しみながら見つけていこうかなと思う。 もちろん焦らず、しかし急いで。
大学を出てしばらく、漫画家を目指していた時期がある。
ただし、生活費は最低限稼がなければならないので仕事をする必要はあるのだが、あまりに熱心に仕事をしてしまうと、漫画を書くのに支障が出るので、あまり体力・知力を消耗しない仕事をする必要がある。 というわけで、その間にした仕事は、「テクニカルライティング」や「カラオケボックス」などであるが、仕事以外の面で、まあ~本当に苦労した記憶がある。 何に苦労したかというと、「学歴差別」である。 最初のテクニカルライティングでは、地元のマイナー大学卒の人たちと高卒の人たちの入り混じった100人規模の会社で、自分の配属した部署は高卒の多い部署だった。なので、経営者も自分のような国立卒の人間が働いてくれるという事で、それはもうチヤホヤだった。 それなりのポストも約束され、「優秀な人が来た」などとあからさまに言うものだから、周りの反感がすごかった。 ちなみに、テクニカルライティングとは、車やバイクなどの設計図に挿入する挿絵や説明図を写真をトレースしたりして書くのが仕事なのだが、それもまた初心者のくせに(自分で言うのもなんだが)上手だったので、またしても反感を買う要因になったものだ。 とはいえ、学歴で差別する人間なんてそうそういないだろうと思うかもしれないが、意外にそうでもない。 もちろん「いい人」もいるのだが、残念ながら学歴の低い人たちは、モラルや人間性も低いことが多い。 残念なことだが、事実そうだったから仕方がない。 おまけに、その会社での飲み会も何度かあったが、居酒屋の備品を盗んで行く社員もいれば、酔って同じ部署の女の子を膝に乗せて「はがいじめ」にしてセクハラする奴もいたり、もう「最悪」としか言えなかった。笑 ちなみに、カラオケボックスの仕事も、同じパターンだ。 経営者は老夫婦だったが、自分の子供が有名私学卒とのことで、学歴には関心が高い人で、自分も国立卒というだけで恐ろしくチヤホヤだった。 東大卒と聞いて神様のように崇める人もいるが、そんな感じである。 当然、周りのバイト連中や雇われ店長から嫌味をさんざん言われ、ちょっと失敗すると、鬼の首を取ったように強烈に突っ込まれたものだ。 そのとき以来、いわゆる学歴差別は、一般に言われるような「低学歴者差別」だけでなく、「高学歴者差別」も歴然として存在するのだなあと、半ば「諦め」に似た覚悟をした記憶がある。 実際、その数年後に一部上場のIT企業に入社した時には、周りが高学歴ばかりだったので、学歴差別などはまったく存在しなかった。 最後に、誤解のないよう言っておくが、どちらかというと自分の周りには低学歴のヤツが多く、大卒は稀である。 とくに自分の実家の友達には中卒のヤツもいるし、低学歴の人間が嫌いだとか、そういうことではない。 むしろ、高学歴のヤツのほうが、その良い頭を、計算高くずる賢く、悪いことに使うのでタチが悪い。 ただ、やはり、低学歴の人の方が、いわゆる「性格の悪い」人が圧倒的に多いことは事実で、仕事を選ぶ際には、その辺りの事も頭に入れないと高学歴者は間違いなく苦労するだろう。
不労所得という言葉があるが、あまり好きではない。
もちろん、働かずに収入が入れば、それに越したことはない。 しかし現在では、不労所得などの「楽して儲ける」類の出版物も増え、テレビなどのマスメディアも、それを煽り続けた結果、世の中に「忍耐」という言葉や「努力」という言葉が消えかかっている気がする。 *** などと言いつつも、自分の歴史を振り返ってみて、現在の「システム開発」という仕事に出会うまで、自分の辞書に「忍耐」という文字が存在したかというと、はなはだ疑問である。 せっかく大学を出たのに定職にもつかずフラフラして、よくまあ、そのまま堕落してホームレスのにならなかったものだ。 それはきっと「忍耐」がなくても天職を探すための「努力」を怠らなかったからだろうと自己分析している。 その証拠に自分の20代後半くらいまでの人生は「天職を探すための旅だった」と言えるくらい、あれこれと、いろんな仕事を試してきた。 そして、その過程でやっと「興味のあること」「好きなこと」を見つけて、そこで初めて「忍耐」が有効なものとなった。 それまでは、辛い事を我慢するという半ば拷問のようなことが「忍耐」だと思っていた。 ITに出会ってから辛いこともたくさんあったが、仕事自体が好きだったから我慢できたのであるが、我慢する価値があるかどうかを見極めることができるがポイントであり、そこが「忍耐」の効果の分かれ道である。 *** ちなみに今の若い子たちが「ニート」などと呼ばれ社会問題となるのは、天職を探すための「努力」さえもしていないからだと思う。 まるで不労所得で生きている様なものであるが。。。 *** そういえば自分は「仕事」の話を聞くのが好きだ。 仕事を頑張っている人のテレビ番組を見るのも好きだ。 仕事の話をしている人を見ると「尊敬の念」が湧いてくる。 この尊敬の念というのは、人間関係を持続するのに必要な要素だ。 今日、テレビである司会者が言っていたが、恋愛は「好き」という感情だけで成り立つが、結婚は「尊敬」がないと続かないとのこと。 「尊敬」が「必要十分条件」ではないと思うが、確かにその通りだと思った。 愛情は測れない曖昧とした感じだが、尊敬の念は定量的なイメージがある。 それは現実という世界に根を張り、その人の行為に基づくものであるから、簡単には壊れない。 結婚だけでなく、長い人間関係の背後には尊敬の念があるように思う。 そもそも尊敬の念は、その人への興味である。 自分とは違う、自分より優れたもの、自分との差を相手に見る事で「自分を知りたい」という人間本来の要求を満たす。 人は「働いている時が、最も輝いている」というのは、確かにそのとおりだ。
天職とはなんだろうか、いや、そんなモノなどないように思えてきた。
どんな仕事でも長く続けて慣れれば天職になりうる。 もちろん、ものの好き嫌いもあるだろうから、すべての仕事がそうだとは言えないが、仮に選択の余地なくその仕事についたらな、それは天職になり得る可能性を秘めた職業であることは言える。 ただ、人は職業を変える自由を暗黙的に制限されている。 日本では職業を変えるということは世間的にはネガティブなイメージを残す。 また、企業文化もそうである。 いまでこそ、派遣や流動性のある人材市場が大き気くなりつつあるが、それもまだ正社員という身分ではないので、彼らからしてみれば危うい立場だ。 そのような状況の中で天職を探すのは難しい。 やはり、ある程度の割りきった考え方も必要だ。 例えば、今の自分の仕事がどうも面白くない。 ほかにも探せば天職が見つかる。 しかし、家族もいるし簡単に転職はできないし、転職すれば新たな人間関係も築かないといけない。 などという場合は、天職に憧れる気持ちを一時的に封印し、今の仕事は実は運命だったのだと考てみる。 そして、少し仕事の取り組み方を変えるだけで、今の仕事への思いに変化があるかもしれない。 仕事への不満ばかり言っても今の仕事が嫌になるだけであまり良いことはない。 辞めるのはいつでもできるのだから、少なくとも3年はその場で何かを得ようとしてみることだ。 そこに自分がいるのも偶然ではないだろうから。。。 何が言いたいかというと、不満ばかり言っていては何も生産的な結果は生まれないということだ。 現代に生きる人は特に権利意識ばかり強く、少しのことに不平不満を漏らす1億総クレーマー状態である。 そういう自分も、人生にうまくいかない頃があり、その頃はそんな精神状態であった。 もちろん今でも政治や経済、社会の仕組み、いろんなことに不満はあるが、それはさておき、まずは自分の仕事をきっちりこなし、自分の行動を自分自身が満足のいくものにしなければ、それは単なる自己矛盾であり、不満を言う資格はない。 まあ、資格はあっても解決できる力のない人間が不満を言わない方がいいかもしれないが、とにかく、不満を言っているうちは天職など見つからない。 不満を言う精神状態と、天職についている時の精神状態は相容れないものである。 そこで、試しに、今の自分に感謝し、自分にはすべて与えられていて心身ともに豊かであり、何もかも満足であるという精神状態に自分を無理やりもっていき、もう一度今の仕事を見つめなおしてみたらどうだろうか。 ただし必ずしも物理的に豊かでなくてもよく、自分が今の自分を許容し、感謝できるようになれば良いのである。 きっと今の仕事に対する見方が変わるはずである。 もし変わらなくても大丈夫、その時は今までより前向きな気持ちで天職探しの旅に出られるはずである。 そして、天職はきっと向こうから姿を現すはずである。
前の日記にも書いたが、まもなく10月。
10月に入る前に、これからのこと、いろいろ決めようと思っているのだが。 ちょっと収入について考えてみた。 そういえば、独立するときには漠然とした目標しかなく、とくに年収なんてものに目標は設定しなかった。 なんといっても、田舎暮らしができることが嬉しくて、そんなものは二の次だった。 (なんという楽観主義。。。) がしかし、法人化するとそういうわけにはいかない。 社長の年収は事前にキッカリ決めないと税法上問題となるのだ。 ただ自分の場合は、契約の際に法人でないとダメというクライアントさんがいたため、無理やり法人化したに過ぎず、実質的には個人事業主と同じである。 (むしろ事務作業が増えるので、個人事業主のままの方が楽であるが。) ところで、世の中の零細企業の社長はどれくらいもらっているのだろうか。。。 そういえば、昔、社会保険労務士事務所で少しだけ働いたことがある。 その時に、顧問先の給与計算事務があったので、中小・零細企業の社長がどれくらいもらっているのか、なんとなくわかった。 意外に思ったのが、年収1000万円以上という人はあまりいなかった。 むしろ、役員報酬50万で年間600万とか、それくらいの水準が多かった。 節税?なのかもしれないが、1000万以上というパターンは少なかった。 例えば、売上が20億くらいある企業で、やっと社長の年収は1500万とか。 ちょっと少ないような気もするから、3000万はもらってもよいと思うのだが。。。 いや、思うに社長だからって、あんましベラボウな給料はもらえないよなー。 売上がたくさんあっても、その分、社員がいるわけだし。 そして経費、いわゆる間接費もすごいだろう。 それを考えると、適正な社長の報酬というものがあるんだろうな。 ただ適正な報酬をネットで調べても、その決め方の基準って、あんまし出てこないんだよね。。。 しかも、無理して会社を大きくしても、結局人件費とかの経費が増えていくので、自分の報酬は、わずかに段階的にしか上がらないわけであるから、苦労の割にはUP率が少ない。 なので、「ガツガツ儲ける派」でもない自分にとっては、自分のパフォーマンスをあげて、年収を上げる方が、会社を大きくするより性格に合っているのかもしれない。 ちなみに、9月で決算なのだが、うちの売上は今年も1000万弱の見込み。 役員報酬は内緒だが、まあ、その半分に+αと言っておこう。。。 ただ去年は黒字が出てしまったので、もう少しUPしてもよいのかもしれない。 報酬の決め方って、ホントに難しい。 (黒字が出ると税金を払う羽目になるのだ。) それにしても、のこりは経費なわけである。 けっこう、すごい経費である。 しかし、その中には個人で使うものと仕事で使うもの兼用なんてもの(通信費や事務所費、車購入とか)も含まれるので、一概に多すぎるとは言えないと思う。 むしろ、年収の割に自由に使えるお金が多いと思う。 なので収入的には今のままで良いといえば良いのだが、「おもしろさ」を追求するなら、やはり、何か新しいことをやりたいものだ。 まだ、見つかってないけど。。。 そういえば最近、日曜の夜に世の中のいろんな職業の人の年収を紹介する番組がやっているが、これをみるとフリーランスで活躍する人は、そんなにもらってないなーと思う。 仕事以外の生きがいのようなものを求めてフリーになった人が多いからそれでもいいのかもしれないが。(ま、自分もそのクチであるが。) というわけで、もうしばらく、天職と適職の差を埋める試みは続くのであった。。。
独立してしばらく更新ストップしていたのですが、復活。
読み返すと会社員時代の日記もあって、なんとも懐かしいなと。 あのころは「独立する」ということに、ある種かしこまったイメージを抱いていたみたいだなあ。 現実は、いたって普通の毎日、自由と平和の毎日。 思い悩んだ時期もありましたが、まあ、振り返れば大したことなかったかなあ。 天職というか適職を見つけて、一人会社ながらも、なんとかサラリーマン時代よりは良い収入を得て、安定し始めると、また余計な事を考えるものだね、人間て。 職業については、親にも昔から言われてますが、3年は我慢しろと。 前の会社は3年以上勤めたが、それでも約3年。 確かに3年勤めると自分の居場所のようなものができて、会社に行くのが楽しくなることさえあるのだ。 これなら自分一人でできる!なんて思ったのが独立のきっかけ。 偉そうだけど、みんなそう思って独立ってするんでしょ? そういえば、今年で3年目。 10月でちょうど3周年。 やっぱ、3年ってのは区切りの年かなって思う。 だからと言って、今の仕事を辞めるという事ではなく、なにか新しいものを見つけようかなと。 思えば、独立して1年目くらいで安定してきて、小学校のころ夢見てた医者になりたいなとか、イベントやコミュニティサイトの縁で精神科医、カウンセラー、そういうものに憧れてみたりした。 「引き寄せの法則」なんて言うけど、歳くってもいいから医者を目指そうと思い始めてから、医師向けの求人サイトの依頼が4件ほど来た。(現在制作中) 身近な人で親が医師だという人も現れた。 それを考えると運命?なんてことも考えてしまう。 けど、はたして、それが本当に天職なのか。 いまだ、よくわからない。 経験したことがないから、わからないのだ。 だって、医者なんて「お試し」で経験できないし。 プログラムは小さい頃、ホント偶然とも言うきっかけで経験したのだ。 http://koinusuke.jugem.jp/?cid=7 というわけで、ITは始めたのは遅かったが、もう10年近くなるので、もうそろそろ中堅と呼ばれるレベルなのかもしれない。 なんらかの職業に憧れるというのは、いろいろな感情、想いがある。 さらに、生活のためとか安定のためとか大切な人を守るためといった現実的なモノもある。 自分で書いたブログを読んでいて、そういうものを一時的に排除して、もう一度自分が本当にやりたいこと、心が躍ることってなんだろうって考えてみることにしたい。 とはいえ、決してITをやめる訳ではない。 自分が生きていくにはこれしかないのだから。 せっかく、(今は)大学卒業当時の極貧な自分から見れば、安定した裕福ともいえる生活を送っているのだから、その間に準備をしておこうと思う。 3年という区切りで、得るものもあれば、もしかしたら、いろいろと失うものもあるかもしれない。 なので、9月まではいろいろと考えたいと思う。 自分にとって本当に心が躍ることって何か。 その後、自分にとって本当に必要な事・モノ・人は何か。 いわゆる「シーズ」を考慮した上での「ニーズ」よりも「ウォンツ」ですね。 目標が定まって、スッキリした気持で3周年を迎えたいものだ。
世の中に職業は溢れており、まず選ぶのに迷い、
選んだところで職に就けるとは限らない。 選ぶ際には、欲でなく、心が躍るかで判断し、 就けない仕事は縁がないと割り切り、 就いたら今できることを全力で、 辛くとも3ヶ月、そして3年我慢して、 徐々に嬉し楽しが現れたら成功! 自分の経験から導き出された適職・天職探しのプロセス。
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by koinusuke |